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「いつか震災の恩返しを」 埼玉で笑顔絶えない介護士に

◆双葉町から避難の高校生 林恵久子さん(18)

 「自動車の教習所に通ってるんだ。まだ仮免許も取れていないけど」。県立鴻巣女子高校に通う林恵久子さん(18)がはにかんだ。先月二十二日、福島県双葉町から加須市の旧騎西高校に避難してきて、二度目の終業式を迎えた。「四月からは埼玉で一人暮らしが始まる。頑張って免許を取らないと」。恵久子さんは自分に言い聞かせた。

 東日本大震災があった昨年三月十一日の夜は、不安な気持ちと度重なる余震とで、なかなか眠れなかった。家の中はめちゃくちゃで、家族五人はこたつの中で夜が明けるのを待った。

 翌朝、避難を勧告する防災無線が流れた。恵久子さんは急いで、通っていた福島県立浪江高校のかばんの中に、着替えや就職の手引書などを詰め込んだ。家族みんなで車に乗り、指示を受けて同県川俣町へと急いだ。

 あの日から九カ月余り。だが、帰宅できる見込みはない。恵久子さんがポツリ言った。「あの夜、こたつで過ごした時間が、最後の家族のだんらんだったな」

    ◇

 高校卒業後、就職を希望していた恵久子さんには、かなえたい夢があった。高校一年の夏、三日間のインターンシップ(就業体験)で同県浪江町の介護施設を訪れ、入所者の食事介助などを体験。車いすを押したり、お年寄りと話したりすると、優しい笑顔が返ってきた。「お年寄りに元気づけられ、やりがいのある仕事だと思った」。進むべき道が見えた。

 進路選択や、所属していた吹奏楽部の最後の地区大会-。いろんなことが控えていた高校最後の年は、震災と原発事故で一変した。三月末に加須市の旧騎西高校へと移り、高校の選択を迫られた。「福島に戻っても就職は厳しいと思った。放射能もちょっと怖かった」。埼玉県内での就職を視野に、四月から避難所近くの鴻巣女子高に転入した。

 学校生活には、なかなかなじめなかった。浪江高と違い、新しい学校は就職希望者が少なかった。不安だったが、「埼玉で介護士になる」という思いは揺らがなかった。

 九月、学校に届いた求人票の中に、行田市の介護施設の「ケアスタッフ募集」の文字を見つけた。職員がアロハシャツを着るという明るい雰囲気も目を引いた。施設を見学し、「ここで働きたい」との思いが強くなった。履歴書を送った。

 初めての面接。覚えているのは、「福島に戻りたいか」と聞かれたこと。「戻れる日が来たら、戻りたい」と答えていた。内定がもらえなくても、正直に言いたかったから。数日後、内定通知が届いた。「家族や避難所の同じ部屋の人たちが応援してくれたので、受かって良かった」

    ◇

 恵久子さんは今年四月から旧騎西高の避難所を出て、介護施設近くのアパートで一人暮らしを始める。中学三年の弟由和君(15)は福島県内の高校への進学を心に決め、母ヨシエさん(44)、祖母キクヨさん(74)も一緒に福島へ引っ越すつもりだ。父和晋(かずゆき)さん(43)は旧騎西高に残る。家族がバラバラになる。

 「今まで積み上げてきたものが、原発事故でゼロになった。何でこんな思いをしなきゃなんねぇんだって思う。でも、子どもたちが自分で決めたことだから、後押ししてやりたい」。悔しさをにじませながらも、和晋さんは恵久子さんの内定を一番喜び、由和君の受験を一番応援している。

 恵久子さんには今、目標がある。笑顔の絶えない、頼られる介護士に-。「埼玉で立派にやっているところを家族に見せて安心させたいから」。そしていつか、大きな災害があったら、避難所に駆け付けたいと思っている。

 「避難生活をしていて、介護は必要な仕事なんだと痛感した。いつか今回の震災の恩返しができたらいいな」

東京新聞 TOKYO Web

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